不足感が消える。「ただ生きる」ということ。
「ただ、生きる。生きている」
窓の外の梅雨空を眺めてたら
浮かんできた言葉。
何度か呟いてみたら、
全身に気が巡るのを感じた。
調和のようなものを感じた。✨
ただ、生きる。生きている。
誰もがそう。
ただ、あなたがここに居る。
ただ、それだけ。
何かを足す必要はなく
何か足りないものもない。
喜びの時にはただ、喜びがある。
悲しみの時にはただ、悲しみがある。
怒りの時にはただ、怒りがある。
痛い時にはただ、痛みがある。
不安の時にはただ、不安がある。
笑顔の時にはただ、笑顔が溢れるし
悲しみの時にはただ、涙が溢れる。
それがあなた。
そんなあなたがここに生きている。
ただ、生きている。
いつもなら
「そんなあなたでいい」
「そんなあなたが素晴らしい」
と伝えるところだけど、
ある意味では
それらも1つのジャッジで
何も意味をつけなくたって
何か理由を探さなくたって
何か見つけようとしなくたって
肯定しようとしなくたって
ただ生きる、ということは
あなたが生きていることは
ただそれだけで世界と調和している
と思うのです。
意味や理由を探すことは
「現状は不満です」と天に発信することに
なりかねないし、
肯定しようとするのは
否定のエネルギーを感じているから
という面もあります。
ただ、生きる。生きている。
そんな自分にくつろぐなら、
あらゆる雑味は入る余地がないのです。
まあ、
不本意なエネルギーがあるならあるで
そんなあなたが
ただ、今、ここに生きている
というだけなのですけどね。
植物はただ、生きる。生きている。
ツバメもただ、生きる。生きている。
猫もただ、生きる。生きている。
コーギーもただ、生きる。生きている。
モンシロチョウもただ、生きる。生きている。
トウモロコシもただ、生きる。生きている。
ユウゲショウもただ、生きる。生きている。
菜の花もただ、生きる。生きている。
クサフジもただ、生きる。生きている。
カタバミもただ、生きる。生きている。
ヒナゲシもただ、生きる。生きている。
カーネリアンはただ、存在する。存在している。
アパタイトもただ、存在する。存在している。
グリーンアポフィライトもただ、存在する。存在している。
朝日はただ昇る。昇っている。
太陽はただ、存在する。存在している。
夕焼けはただ、訪れる。暮れていく。
梅雨に雨はただ、降る。降っている。
やがて梅雨は明ける。ただ、明ける。
ただ生きるだけで
ただ存在するだけで美しいこの世界に、
真実を見出してもいいし
特別な意味や理由を見つけてもいい。
ただ生きること
ただ存在することは、
ただそれだけで
そこに真実が見つかるくらい
生きていること自体が
存在すること自体が
「いいもの」をもたらしてる
ってこと。
「ただ、生きる。生きている」
その状態で「ある」と、
「良い」も「悪い」も入る余地がない。
植物や動物たちが
ただ存在しているだけで
ただ生きているだけで
世界に調和を生み出していくように、
世界には「良い」も「悪い」もない。
生きているから生きている。
存在しているから存在している。
だから
「ただ、生きる。生きている」
ことにくつろぐと
世界の調和の一部になる。
一部であると同時に、
それは全部でもある。
というか、
この世界とあなたが分離したことは
一度も無いのだけど。
あなたが世界と調和してなかったことは
一度も無いのだけど。
あなたが
「この世界の一部であり全部」
じゃなかったことは一度も無いのだけど。
今日の話は
とても感覚的で抽象的だけど、
全体の雰囲気から
なんとなーく
何か「ふわっ」と心地よいものが
あなたに伝わったらいいな
と思います。
まあ、伝わらなくても
「ただ、生きる。生きている」
だけなのですけど。
ぼくも、あなたも、この世界も。
TEXT
鈴木 トシロウ
- スピや心の話を書くブロガー ⇒アメブロ毎日更新中
- 猫が好きすぎる人・ω・)
- ライター
お笑い⇒音楽⇒ヒーラー⇒ライター(今ここ) と、その時に一番やりたいことを大切に生きてます。千葉のやや田舎に猫とのんびり在住。