優しい世界で生きる方法
鈴木トシロウ
スピ系ブロガーの鈴木トシロウです。
(猫が好きすぎる・ω・)
親兄弟でも、パートナーでも、子供でも、仕事仲間でも、友人でも、その人の全部を好きになれなくてもいいし、全部を肯定できなくてもいいのです。「〇〇じゃなきゃいけない」って自分の本音にフタをして、頑張って肯定しようとすると辛くなってしまうから。
そもそも「好きになろう」とした時点で好きじゃないし、「肯定しよう」とした時点で否定的な気持ちがあるってことです。無理に肯定しようとすると「無理しなきゃいけない世界」で生きることになってしまいます。
相手に好きになれるところもあって、苦手なところもあって、感謝してるところもあって、感謝できないこともあって
それでいいやん。・ω・)
あなたはあなたでいいに決まってるやん。・ω・)
同じ人じゃないのだから、全部を好きになれなくても全部をわかり合えなくても当たり前です。むしろ「全部 好き!」「全部 素晴らしい!」となってる時は、自分や相手に酔ってたり依存してる時だったりします。
INDEX
「好き」も「嫌い」も大切な自分
実家の猫ベルは、ぼくが来るとニャーニャー騒いで玄関に迎えに来てくれるほど懐いてます。
トシロウは好きだけどハグや抱っこしてくるところは嫌い。首がめり込むくらい嫌い。笑
しっぽの付け根をポンポンしてくれるところは好き。
遊んでくれるところはすごく好き。
でも後頭部を吸ってくるところは嫌い。笑
相手の全部を好きになれなくても、肯定できなくても、その相手に価値がない、大切じゃないってことではなりません。
今そのままで価値があります。あの人にも、あなたにも。それは絶対に変わらない真実です。
優しい世界で生きる方法
で!・ω・)
相手のすべてを好きになれなくていい、相手のすべてを肯定できなくていい、それでもあの人には変わらず価値がある、ってことが腑に落ちると、自分にウソつかなくてよくなるのでラクです。
そして人間関係は自分を映す鏡なので、自分を好きになれない瞬間があってもいい、自分を肯定できない瞬間があってもいい、それでも自分には変わらず価値があるということが腑に落ちるのです。
むしろ受け取って欲しいのはこっち!
自分を好きになれない瞬間があってもいいと、自分を肯定できない瞬間があってもいいと、むしろ「私は私でいい」って思えるようになります。
「まあ、そんな時もあるよね」「それも含めて自分だよね」「そんな自分がいてもいいよ」って自分に優しくなれます。
自分に優しくなれると、人にも優しくなれます。自分をジャッジしなくなると、人のこともジャッジしなくなります。自分にウソつかない人は、人にもウソつかないので信頼されます。
だから世界が優しくなります。
無理して感謝や肯定しなくていい
例えばダメな父親だとしても、うるさい母親だとしても、彼らには今そのままで価値があります。あなたが両親をどう思おうと、あなたの両親に価値があることは変わりません。だから、無理して感謝や肯定しなくてもいいのです。
あなたの中に、育ててくれた親への感謝があるのも本当でしょうし、ムカついたこと、悲しかったこと、傷ついたことがあるのも本当です。そんなあなたでいいのです。
親に感謝しなければいけない、親を支えなければいけない、親を肯定しなければいけないって、無理して感謝や肯定しようとすると親を庇うようになります。
親を庇ってると自己価値が低くなってしまいます。
なぜなら「庇う」は「弱者」にすることなので親を庇う⇒親は弱い⇒その子供である自分も弱いって自己否定のエネルギーになるからです。
あなたは今そのままで価値がある
どんな自分が存在してもいいのです。光も闇も、ポジティブもネガティブも、どんな自分がいてもいい・・・っていうのが「私は今そのままで価値がある」「今そのままでここに存在していい」という真実を明らかにします。
「まあ、そんな時もあるよね」って自分自身が優しい世界を選ぶと「ああ、世界って優しいんだな」という体験が増えていくのです。
-おわり-
ヒメオドリコソウ🌸
TEXT
鈴木 トシロウ
- スピや心の話を書くブロガー ⇒アメブロ毎日更新中
- 猫が好きすぎる人・ω・)
- ライター
お笑い⇒音楽⇒ヒーラー⇒ライター(今ここ) と、その時に一番やりたいことを大切に生きてます。千葉のやや田舎に猫とのんびり在住。