あなたの罪悪感はすべて勘違い

スピ系ブロガーの鈴木トシロウです。
(猫が好きすぎる・ω・)
聖書を飛ばし飛ばしに読んだり、クリスチャンの方が書いた本をたまに読んでます。


クリスチャンの方が書いた本にはアファメーション的な、聖書から引用した祈りの言葉がよく登場するのですが「ゆるし」に関わるものが多いです。
昔から、今と変わらず「自分をゆるす」というのは楽しく生きるために重要だったわけですね。
ぼくが読んだ本では罪を告白する⇒その罪はゆるされるという流れで解放していくものだったのですが、たしかに「私は何を罪だと思い込んでいるのか?」を認識することはとても大切です。
なぜなら、あなたが罪だと思ってることはすべて勘違いだから。勘違いは気付けば手放せるのです。
INDEX
「罪悪感」とは何か?「ゆるし」とは何か?
自分をゆるせない時や自分を責めている時は、「こんな私はゆるされない」と勘違いしています。
「ゆるし」とは、「私は既にゆるされている」「ゆるされないことなんて無い」という真実に気付くことです。
聖書に登場する「罪」の語源、「ハッタート」は「的外れ」という意味らしい。
つまり「罪」とは本来の自分から外れている状態であり、「ゆるし」とは本来の自分でいる状態、「私は私でいい」ってことなのですよ。
自分の本心なんて受け入れてもらえるわけがない、人に受け入れられないようなことは思ってもいけない、期待に応えられない私には価値がない、〇〇できない私には価値がない・・・。
っていうのがすべて勘違いなのです。・ω・)
あなたの罪悪感や無価値感は
すべて「的外れ」ですよ。


間違えた。失敗した。だから何?
時には間違える。時には失敗する。むしろ失敗だらけ。ましてや完璧じゃない。
で?・ω・)だから何?・ω・)So what?・ω・)そんなあなたでいいじゃないですか・ω・)
あなたと仲良くしてくれる人やあなたを大切に思ってくれる人は、あなたが清廉潔白だから好きなのではありません。
あなたがあなただから好きなのです。
あなただけは、あなたをゆるしていい
人に言えないようなことでも、人に受け入れられないようなことでも、そんなことを考えたり思ったりするあなたが存在していいのです。
「不満があるんだね。悲しいんだね。あの人にムカつくんだね。仕方ないよ。そんな私がいていいよ」
「失敗した・・・。でも仕方ないよ。私だけのせいじゃないよ。だいじょうぶだよ」って。
あ、くれぐれも人前で言うと怒られたり信用をなくすから言っちゃダメですよ?
「あー失敗した。まあしょうがないしょうがない」って人前で言いたがる人たまにいますが、あれは「ゆるし」ではなく「こんな私でいいですよね?」「ゆるしてくれますよね?」っていう承認欲求です。
承認欲求は不足意識なので、現実に不足がより拡大してしまいます。そうではなく・・・。
あなただけはあなたの味方でいてください。誰にもゆるしてもらう必要ありません。承認してもらう必要もありません。あなただけは、いつでもあなたをゆるしていい。
それでいいのです。あなたはあなたでいい。
ドバーッと出しちゃいなよ!
ウンチョスと一緒です。💩


溜め込んだら誰でも病気になるし、誰もいないところで出すのは健康のためにとても大事なことだし、恥ずかしいことではありません。
ふざけてませんよ?w 出すものは出さないと健康でいられないのです。
心のウンチョス溜めこんでませんか?
よくないなぁ。ゆるしちゃいなよ。ドバーッと出しちゃいなよ!
(さてはお前ウンチョスって言いたいだろ!)
-おわり-
ウンチョス後はなぜかダッシュする すず氏
(さてはお前ウンチョスって言いたいだろ!)


TEXT


鈴木 トシロウ
- スピや心の話を書くブロガー ⇒アメブロ毎日更新中
- 猫が好きすぎる人・ω・)
- ライター
お笑い⇒音楽⇒ヒーラー⇒ライター(今ここ) と、その時に一番やりたいことを大切に生きてます。千葉のやや田舎に猫とのんびり在住。