【お悩み相談】日頃から大切な事柄やつたない事まで、物事を忘れてしまう事が多々あり悩んでいます。記憶とは一体なんでしょうか。
ご相談
日頃から、大切な事柄やつたない事まで、物事を忘れてしまう事が多々あり悩んでいます。仕事等においては、リマインダーを設定するなどで回避していますが、プライベートな日々の事柄や話題で忘却してしまう(何を言おう/言ったとしたか覚えていない)等が多発します。記憶とは一体なんでしょうか。実際に過去に起こった出来事なのでしょうか。お答えいただけますと嬉しいです。(あぷさらさやかさん / 女性 / フリーランス)
ご質問ありがとうございます!あぷさらさやかさんがおっしゃる状態、私もよく起こります!
子供の頃、親がそのような状態の時に笑っていた自分を思い出し、今は過去の自分に笑われている…まさか自分がそのような状態になろうとは、若き日の私は全く考えていませんでした。
何かをしようと思って立ち上がった瞬間に、なぜ立ち上がったのかを忘れていたり、思いついたことを話そうとして、口を開いた瞬間に忘れることも…!(涙)
記憶って、本当に不思議ですよね。あぷさらさやかさんが仰ってくださっている通り、実際に過去に起こった出来事ともいえますし、起きていることそのものなのかというとそうでもなく、未来への希望や願いを考えているとするなら、未来ともいえる気がしますもんね…
それでは記憶は何か、というところを探っていきたいと思います。
記憶は「記録されたものが保持されて、思い出すことができること」と捉えています。では「記憶されたもの」と何かというと、脳科学的には「感情を伴って味わったものは、過去も未来も記録される」といわれています。「過去を思い出すことが記憶」と思われたりすることが多いですが、未来のことを考えたり、イメージしたりしても記憶として残りますよね。
ただ、この記憶…とても難しい側面があって、自分がイメージしたり考えたままの状態や、自分が捉えた形で記憶されてしまうんですよね。事実とは関係なく…
実際起きたことを確認できるドライブレコーダーや、ビデオ判定のような記憶装置が24時間あれば、事実を確認するために巻き戻したりすることができるのですが、過去や未来のいずれも「記憶上でだけ」残っているものがたくさんあります。さらに、記憶は書き換えられることもあり、最初に思い出したことと、二回目に思い出したことが違っていれば、上書きされるということも起こります。
例えば、あの人がこう言った、言ってないというやり取り(いわゆる水掛け論)も事実で、解決を見ることができないのは、お互いの記憶でもはやおきていないことが存在するからです。
…となると、記憶って正しいものが一つもない可能性もありますよね!
以前私が経験した、勘違いがありました。
依頼したはずの仕事について、連絡がないのでどうしたのだろう?と思っていたら、なんと…依頼していなかった!仕事の依頼をするときは手順書も一緒に送っているので、メールの履歴を探しましたが履歴はなく、念のためその方に聞いてみましたが、依頼されていないとのこと…完ぺきな思い違いでした。思い返してみると、依頼する方に説明するために、自分の中のイメージで細かく手順などを考えていたので、具体的に依頼したイメージが出来上がっていたようです。
また、同じ思い出に対して、それぞれが違う思い出があるのも、それぞれの記憶が異なっていることによります。
これも以前私が経験したことなのですが、その当時の知人が話していたことを聞いていただけのはずが、その方の中では私が話していたことにすり替わって吹聴されていた事件(笑)がありました。その知人からの依頼でやっていたことだったんですけど、なぜそういうことになっているのか…と驚きました。きっと、いろんな方に話をするうちに、ご本人の中でそれが事実に変わっていたのかもしれないな、とも思ったりしています。
…やっぱり、記憶って正しいものが一つもないかもしれませんよね!(二回目)
いろいろな記憶の分類があるのですが、あぷさらさやかさんの忘却が心理学の領域での記憶の区分に合致するかなと思ったので、既にご存知かもしれませんがご紹介させてください。
感覚記憶:感覚器官(目や耳、鼻など)から常に得ている情報からの記憶(1秒ほどで消失)
短期記憶:15~30秒で消えてしまう記憶(数分から数日間とも言われる)
長期記憶:年単位~一生涯保持される記憶(自分の名前、生年月日等)
またこれとは別に、入ってきた情報を頭の中で保持して、どの情報を覚えておけばいいのか整理する能力のことを「ワーキングメモリー(記憶力)」というものもあります。
あぷさらさやかさん(と私!)の忘却してしまう部分は、このワーキングメモリーもしくは短期記憶のあたりで何かが起きているのではないかと…。
短期記憶は脳の海馬という場所で仕分けされ、必要だと判断されたものだけが長期記憶として貯蔵されます。この海馬での保管期間は一か月程度といわれています。短期記憶は容量もとても小さいので、他のことでいっぱいになっている時には、覚えられるものも少なくなっていきます。長期記憶に取り込まれないものは、置き換えと減衰によって短期記憶からも失われていきます。
私たちが起きている間中、何かを見て、考え、何かに注目したり、意識したり… 基本的には、なんらかの感情を味わったものを記憶として保管していきます。一日中その作業をしているので、かなり膨大な量になりますよね!
記憶する領域には限界があるので、その全てを詳細まで覚えておくと、新しい記憶が入る余白がなくなってしまうため、眠っている間に記憶を整理するということを行います。でも眠って記憶を整理する前に、そのメモリがいっぱいになってしまったり、意識があまり向いていないことを記憶していない気がしています。
これらの言葉の説明については様々な解釈があるので、自分にしっくりくるものを選んでいただければよいかなと思います。
ということで、「記憶とは一体何でしょうか。実際に過去に起こった出来事なのでしょうか」というご質問に関しては、(やっと回答!)
記憶とは、私たちが存在していることを証明するものであり、私たちがある瞬間を切り取った一種の記録です。ビデオのように残っているものもあれば、カメラで一瞬切り取ったような場面もあるかもしれません。
記録のとり方によって、実際起きたことをどうとらえているのかを確認することができますが、事実そのままが起きたのか、というところは、その場にいた誰も証明できないものではないかと思います。ドキュメンタリー映画も、切り取り方によって見え方が全く違うというところと似ているように思います。
そして、もう一つの可能性としてですが、もしかすると、その覚えていない記憶は、覚えておく必要がないものなのかもしれません。
例えば私の場合、必要だから持っていこうと思っていて、でもそれを忘れている時、ハイヤーセルフが当日の朝玄関で「何か忘れてるよ」って教えてくれるんですね。でも「何か」については教えてくれないんですよね。それで、一度戻って部屋を見渡すんですけど、何を忘れているかがわからないんです…。
ということは大丈夫なのかなと思って駅に向かうのですが、その途中で「必要だと思ったモノ」を思い出すということが起こります。これはほぼ100%駅に行くまでの道で思い出します。そこで毎回「私が必要だと思っただけで、実際は必要ないのだなぁ」と思ってそのまま出かけるのですが、あぷさらさやかさんの記憶のところでも、同じような仕組みが起きている可能性があるかもしれません。